決断力、行動力、責任感の人:田中角栄

昭和の大政治家・田中角栄は1918年、新潟県柏崎市に生まれました。
「途方もない記憶力」と称賛された角栄ですが、父の事業失敗により進学を断念。
尋常小学校を卒業すると上京し、土木工事の現場で働きながら土木科の夜間部に学び、
設計事務所に就職します。
19歳にして共栄建築事務所を設立、24歳で結婚、
そして田中土建工業株式会社を設立します。

この頃、新興財閥の総帥に才を見出され、その関連会社の仕事を請け負って
会社は急成長、青年政治家となるための基盤を整えます。
28歳で衆議院総選挙に出馬するも落選、この時に抽象論や理想論よりも
「具体的に何をどう変えるかが重要だ」
と痛感します。

翌年の衆議院総選挙に新潟県第3区から出馬した折には
「新潟と群馬の県境にある三国峠を切り崩してしまえば、
 日本海からの季節風は太平洋側に抜けて、越後には雪は降らない。
 大雪に苦しむことはなくなるのです。切り崩した土砂は日本海へ持っていく。
日本海を埋め立てて新潟と佐渡を陸続きにしてしまえばいい」
という演説を各地で行い初当選を果たします。

その後、議員立法による33件もの法律を成立、日本列島改造論、日中国交正常化、
ロッキード事件と日本社会に大きな影響を及ぼしました。
没後20年以上を経た今、その素早い決断力や圧倒的な行動力、
常に責任を取る胆力が注目されています。

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