日本国家の未来のために:勝海舟

江戸城無血開城を実現し「日本海軍の父」ともいわれる勝海舟は、
1823年に江戸で生まれました。

父は旗本ながら終生無役で家は 貧しかった海舟ですが、
17歳の時に世界地図を見てその広さに驚き、
まだ見ぬ世界を知ることが重要と悟ります。
そこで独学でオランダ語を学び、全58巻から成る辞書
『ヅーフ・ハルマ』を借り受けて筆写します。
さらにオランダの兵学書までも、持ち主の家へ深夜に通い半年間で全て写し終えました。
これらの書物が、海舟の海防論形成や国際情勢を見る目を養ったのです。

そして30歳の年にペリーが浦賀に来航、危機感を抱いた幕府は対外政策の意見を広く募ります。
自らの存在をアピールし、幕府に仕官する道も開けると考えた海舟は
「海防意見書」を提出します。
その内容は、身分を問わない優秀な人材の登用、江戸湾の防備、軍艦の建設など、
日本の国防や外交の将来に向けたものでした。
これが認められ32歳という遅咲きで世に出ます。
その後は幕臣の立場でありながら、開国の必要性を説き、
坂本龍馬や西郷隆盛など倒幕の志士とも関わりを持ちつつ
江戸城無血開城を実現したのです。

「事を遂げる者は、愚直でなければならぬ」という海舟の言葉からは、
不遇の立場に置かれながらもそれを悲嘆せず、国家の未来を大局的に見据え、
真摯(しんし)に事に当たった生き様がうかがえます。

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