百万一心:毛利元就

戦国武将として中国地方を手中にし、
後の長州藩の祖となった毛利元就は1497年、
安芸国(広島県安芸高田市)に生まれました。

毛利家は古くから一帯を支配する豪族でしたが、
応仁の乱の余波で起こった守護大名大内家と対立する
細川家の紛争に巻き込まれ、
元就は幼くして生まれた城を去ることになります。
その後、実母と実父が相次いで死去、
さらには後見人だった家老に領地を奪われ
城から追い出されるという苦難の幼少期を過ごします。

毛利家の家督を継いだ兄が死去、
さらにその跡を継いだ甥も亡くなり、
元就は27歳にして毛利家の当主となります。

手狭となっていた城の拡張工事に着手した際、
ある一部分の石垣だけが何度組み上げても
崩れてしまうという事態に。
霊的な影響があるのではと人柱を立てる話が持ち上がりますが、
元就は人命が犠牲になるのをよしとせず、
代わりに「百万一心」という文字を石に刻ませたといいます。

この言葉には、
「万民が心をひとつにしなければ天下泰平の世は訪れない」
という願いを込めたと同時に、百と万の字を少し変えて
「一日一力一心」と刻ませ、
「皆が心をひとつにし日々、力を合わせれば
 どんなことでも達成できる」という意味でもあったそうです。

有名な「三矢の訓」に並ぶこの逸話には、
知略と謙虚さを兼ね備え、家中の結束を重んじた
元就の人柄が表れています。

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